生い立ち
東山会の生い立ち
愛知工科大学
太田 博
(昭和32年卒業,第16回生)
名古屋大学工学部の機械学科が創設されたのは昭和14年5月で,第1回の学生は昭和15年4月入学,昭和17年9月の卒業です.戦争の影響による学年短縮(3年→2年半)は,第6回(昭和22年9月)までつづいた.
昭和25年5月に工学部のどの教室よりも早く同窓会(東山会)を出発させた.その年の3月17日(卒業式)に第9回生の新入会員歓迎会が医学部教室で開かれた.お茶と菓子の簡単なものであったが,9先生と旧卒業生20名余,それに新卒業全員の計80名余であった.先生方のテーブルスピーチの中で特筆すべきものを紹介します.
生源寺順先生「私は御覧の通り大変頭が薄くなってきたが,目も細かいものが見えにくくなってきたので,ときどき眼鏡をかけたままでいることもあるから,どこかで卒業生諸君と会っても見落とされる心配がある.その様なことのない様に望みたい.」
小林明先生「私のこの鼻の下に蓄えてあるひげであるが,人からときどき,こんなものむさくるしいからとってしまったらどうかと忠告されることがある.そんな時には,このひげは,私一人の考えでは剃り落とせないと言って謝絶するのであるが,私以外の人とは誰であろう.−この時,その人とは,先生のベターハーフなる人か,と考えたら大違い.−それは卒業生の皆さんである.これを勝手に落としてしまうと私が私であるという目印がなくなり,卒業生諸君に叱られる恐れがある.」
4月30日の東山会総会は,3月17日に決定した役割分担で準備が進められた.会場も,戦前の諸兄にはその名も懐かしい日本ビール(現サッポロビール)内の浩養園に決まった.当日は,29、30日の休日続きで遠方からの出足もよく,天候は快晴とはいえないが雨も降らず,出席人員は総計76名に達した.浩養園が一杯となるほどの総会が成立した.総会は午後2時より3回生の吉川文岳氏の進行で始まり,1回生の栗山奉行氏を議長に選出し,同窓会会則案を逐条審議し,ほぼ原案どおり満場一致で可決された.つづいて会則に従い新役員を選出し,新役員と特別会員の挨拶,有志談話と型どおりに会は進行し,各自思うときに思うだけ飲みかつ食い.グループごとに写真も撮り,話し,踊り,先輩後輩たがいに入り乱れて親和の実を挙げ8時すぎに解散となった.
(この文章はF.Y.氏の記録を書き直したものです.)