停年・退職の先生のお言葉
安田 仁彦 昭和38年卒業(第22回) |
定年退官のご挨拶
今年3月、名古屋大学を定年退官いたしました。昭和34年に名古屋大学の機械科に入学して以来、学部と大学院の学生として9年間、機械科と電子機械科の教官として36年間、あわせて45年もの長い間、名古屋大学でお世話になりました。これまでの皆様のご支援に心からお礼申し上げます。
名古屋大学の教官時代の36年の間に、私は、池の端の実験棟、3号館、2号館と、数十メートルの間で居室を数回引っ越ししただけで、一度も名古屋大学以外の生活を経験しませんでした。そんなことで荷物を整理する機会に恵まれず、退官の時には助手時代の荷物まで出てきて、なかなか荷物の整理ができませんでした。人事の流動化の重要性がいわれている今日の価値観からいうと、私のような生き方を送る人間は少数派になりつつあるかも知れません。
価値観といえば、研究について、大きな時代の流れを感じています。これについて、思い出すままに振り返ってみたいと思います。
助手になってすぐの昭和45年頃、日本中の大学を巻き込んだ大学紛争が、名古屋大学でも起こり、同じ考えを持つ一部の学生と教職員がいろいろな要求を掲げ、本部や教養部の建物(いまの一般教育棟)を封鎖するなど、学内は騒然としていました。助手会の一員として、私も大学紛争に無関係で過ごすことはできませんでした。印象的だったのは、彼らの要求項目の一つに「産学共同反対」があり、それに対する学科間の対応の違いを感じたことです。当時の機械科の先生方は、産学共同に消極的あるいはむしろ否定的だったようで、したがってこれについて彼らからの突き上げは少なく、他学科と比べると、静かな教室運営がなされていたように思いました。産学共同に対する消極的あるいは否定的な考え方はその後もしばらく続き、産学連携の重要性がいわれている今日から見ると、今昔の感があります。
研究テーマの選び方にも、産学連携に対する考え方が反映されていました。当時、機械科の多数の先生方は基礎研究指向で、応用という視点は少なかったようには思いました。これ幸いと、私自身も、すぐに応用には結びつきそうにない非線形振動の研究を行い、自然が時々見せてくれるおもしろい力学現象に魅せられていました。カオス振動を実験中に目にしながら、その意味を理解できず注目しなかったことは、いまも残念に思っています。こんな思い出を持つほどに、よき時代を生きてきたと思っています。
電子機械学科創設と同時にそこに移り、数年経った昭和60年に、私は、そこの教授に推されました。この学科の応用的な側面、この学科にきて付き合うようになった先生方の考え方、時代の流れなどにより、この頃からようやく産学連携の価値を少しずつ理解するようになりました。教授という立場上、また、応用設計という担当講座のことを考えて、研究の重点を少し応用に移す必要があると感じました。思案の末、当時流行になっていたモード解析と自身のこれまでの研究の延長上にある同定法を研究テーマに選びました。研究の重点をこのテーマに移してから、科学研究費で採択される割合が急に高まり、企業からの関心も高まりました。これに関するテーマで、何人かの博士を世に送り出すことができました。
科学研究費の獲得、企業との共同研究、学位の提出件数など、最近の価値観から見れば、同定法に関する研究が非線形の研究よりずっと価値があったということになるのですが、私自身の思いは逆で、非線形振動の研究の方が高度な成果を得たと思っています。
現在、急激な変革の時代といわれています。私が36年かけて見たようなことが、これからは数年の間におこることかも知れません。このような時代を生きていくには、現在のすべてに従ってもいけないし、しかしいまを生きるためにある程度は従わざるを得ない、といった生き方を、私たちはすることになるのでしょうか。
なお4月から愛知工業大学に勤めております。機械工学における力学の価値が数年の間に失われることはないでしょうから、価値について疑うことはなく、いかにわかりやすく講義するかに日夜腐心しております。
以上、退官のご挨拶まで。皆様には本当にお世話になりました。