停年・退職の先生のお言葉
末松 良一 豊田工業高等専門学校長 昭和41年卒業(第25回) |
拙著「制御用マイコン入門」と名大祭「オルゴール・からくり・ロボット展」
-名古屋大学を退職して-
この3月に、定年まで2年を残して名古屋大学を退職いたしました。昭和37年に名古屋大学工学部機械学科に入学して以来、名古屋大学を一歩も出ることなく多くの先生方と学生の皆さんと一緒に教育研究に携わって参りました。電子機械教室には、藤本哲夫先生の後をうけて、平成6年から10年間お世話になりました。そして、この4月に、独立行政法人国立高等専門学校機構 豊田工業高等専門学校の校長に赴任いたしました。
電子機械工学分野の同窓会である「伊吹会」から、「退職の挨拶」原稿を依頼されて、名大時代の思い出などを書かせていただきます。
機械科の教員時代には、「機械制御」などの科目を担当していましたが、メカトロニクス工学の勉強を始める契機は、昭和57年にオーム社からの依頼で「図解メカトロニクス入門シリーズ」の「制御用マイコン入門」を執筆することになったことでした。当時の日本はマイコン時代が到来し、町の本屋には200冊以上のマイコン関係の本が所狭しと並んでいました。執筆を躊躇している私に、監修の雨宮好文教授から「アフリカに行かなくてもアフリカ探検記は書ける!(10册の本を読み、自分の頭で理解して表現すれば新しい本になる!)」といわれて、まず、10冊のマイコン本を購入しました。それを読んでみると、それぞれの著者の得意な分野は詳しく書かれ、初心者には難解な部分も多いことに気付いたのでした。文章でなく、多くの図で説明するというシリーズの方針も、国語の苦手な私には助かりました。私の最初の著書である「制御用マイコン入門」は、望外の販売数を得た上に、後に、中国語版(2000年)、ロシア語版(2002年)にも翻訳されたのでした。
私の「からくり」好きは周知のことと思われますが、その契機は若者の理工科離れ対策でした。家電品などのメカトロニクス化が進み、子供達の生活の場に、「開けて仕組みの分かるもの」が消えてしまったことに気付き、リサイクルショップなどで、時計、オルゴール、蓄音機などを買い求めたのでした。そして、からくり人形も当初は「仕組みの分かるもの」として興味をもったのでした。電子機械教室に身を置くようになってから、「からくり人形と日本人のロボット観」、「山車からくり祭とモノづくり」などへと繋がっていきました。
毎年の名大祭での有志企画「オルゴール・からくり・ロボット展」は、私が蒐集した「仕組みの分かるもの」を展示して、多くの若者に、見て聞いて触れてもらおうと企画したもので、退職までの8年間開催することができました。全学共通棟の一番広い3C講義室を会場として、金曜日にレンタカーで展示物を搬入し、土日に展示実演を行い、日曜日の夕方搬出するという行事は、研究室学生全員の協力があったからこそ実現できたのでした。私にとってもこの名大祭企画は、一生の思い出になると存じています。この場を借りて、8年間の研究室の学生諸君の惜しみない協力に感謝の意を表します。
豊田工業高等専門学校長に赴任して4ヶ月になります。高等専門学校も昨年から独立行政法人となり、改革の真っただ中にあり、先は不透明な状態です。しかし、豊田高専は立地条件もよく、優秀な中学生を受け入れ、5年一貫教育で低学年から実践的技術者専門教育を行い、有為な人材を輩出しています。本科の卒業生の約半分が就職し、残りが進学しています。名古屋大学工学部にも毎年数名が3年次に編入学しています。今後は、名古屋大学と本校との関係を、学生の編入学や大学院進学に留まらず、教員の交流や共同研究などによる連携の強化に結び付けて発展させていただきたいと思っております。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。