停年・退職の先生のお言葉

三矢 保永 先生

定年退職の挨拶

 去る3月末日で,定年退職いたしました.

 振り返ってみれば,19年前(1987年)に名古屋大学に着任した時のポジションは,臨時増募の助教授という,まあ「付け足し」という不安定な地位でした.着任したときに与えられたものは,はげ落ちた木製のおんぼろ机とガタビシする木製椅子,それに化学実験の準備室だった汚れた部屋一つでした.ホームレスと同じ境遇で,橋の下から大学生活を始めたようなもので,全くのゼロからのスタートでした.それでも,時間に余裕があることの楽しさ(ホームレスの楽しさ?)がありました.

 それから19年,講座をもち,基盤研究や,プロジェクト研究,産学共同研究を経て,充実した研究設備や高度の測定装置をもつようになり,この分野では一流の研究室として内外の見学者から賞賛されるまでに立ち上げることができました.小さな体ですが,精一杯の青壮年人生を送ることができ,充実感をもって定年を迎えられたことは,これまで巡り会った大勢の方々から,未熟者の成長を助けていただくとともに,励ましや期待をもって挑戦の機会を与えていただいた賜物であると,感謝する次第です.自分でも合格点を出してもいいかな,と思っています.

 19年前に大学に着任したときには,カルチャーショックを受けました.非効率,閉鎖性,教条的な議論はショックでした.しかし,この19年間で激変しました.振り子が反対側まで振れてしまったように思われます.競争の激化,効率万能主義,刹那的な価値観など,研究教育にも歪みが顕在化し始めているように思われます.いまや,学問の殿堂としての大学の役割を原点に戻って考え直す時期にきているのではないかと思います.皆さん方の英知がこれを解決するものと期待しています.

 これからは,自分の時間を取り戻すための第三の人生を始めます.田舎での晴耕雨読を考えたのですが,しばらくは,自分の研究の仕上げ,専門知識を活かした研究支援,趣味を兼ねた自然大切ボランティア活動などを行いたく,名古屋産業科学研究所に所属するとともに,個人事務所もオープンしました.事務所は名古屋大学の近く(本山)にあり,体力向上のリハビリのために,毎日,自宅(八事表山)から自転車や徒歩で通勤しています.名古屋大学のキャンパスを横断していることになりますが,荒波のなかを必至に航海する場であったキャンパスが,外から見るとなにか桃源郷のように見えるのが不思議です.

 これからも,名古屋大学は気になる存在であり,名古屋大学のシンパとして発展を見守っていきたいと思います.

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