特別寄稿
太田 博 昭和 32 年卒業(第 16 回) |
第1回東山へ帰る日(平成9年6月13日)にて 左から2人目山本先生、左端が筆者 |
山本敏男先生の思い出
山本先生には7月7日にお目にかかったばかりで、突然の訃報に言葉もありません。心よりご冥福をお祈りいたします。
私が機械学科3年生のときです。山本先生の「機械力学第1」の講義で、始まって30分程あとに水力実験室の辻井技官が急な連絡のため講義室へ来られた。山本先生が「恩師の下山美徳(よしのり)教授が病気療養中のところ今日(昭和31年1月16日)亡くなられた。下山先生は類いまれな独創性に優れた研究者であり、下山先生の御指導により私の研究のスタートと方向づけをしていただいたことを心から感謝している」と言われ、すぐ退室された。私は下山先生のお顔を全く知らないので、どんな方かといろいろ想像していた。やっと38年後に下山先生の四男の宏さん(現、名城大学学長)から父君の写真を見せていただくことができました。
機械学科4年生のとき、熱機関実験室で卒業研究(ボルテックスチューブの研究)をやっていたら、同級の遠藤君が山本先生の「機械力学第2」の試験を受けるかどうか聞きに来たので「受験する」と答えた。当日、試験会場で待つこと30分、受講生は25〜30名もいたので沢山の人が受験するものと思ったが誰も来ない。念のために2号館2階の山本先生のお部屋をノックしたら、中で先生は私を待っておられた。受験生は私1名と遠藤君から聞いておられたのか当然、先生のお部屋へ来るものと思っておられた。筆記試験でなく、私にとり口頭試験は初めてであったが、二、三の質問のあと剛体の力学に関して聞かれた「長さLの剛体棒の一端に棒と直角方向の力Fが加わりつづけたら棒の運動はどうなるか」。私は「棒の重心に関しては力Fによる質点の運動、重心まわりにはFL/2のモーメントによる回転運動に分けて考えればよい」と即答し合格した。これが山本先生との最初の会話であった。
修士課程1年生のとき、昭和33年3月にアメリカ・ウイスコンシン大学から帰国された志水昭史(しょうし)先輩(後に岐阜大学教授)のご紹介で、修士課程終了後に同大学機械工学科のO.A.ウエハラ、T.F.マイヤー両教授のもとで「内燃機関のエンドガスの温度測定」の研究を行うことが決まっていたが、渡航直前に先方から奨学金が出なくなり、この計画は頓挫した。1年後輩の後藤・島本君の卒業研究「リザクレーション・オシレーションの研究」について時々、両君から研究内容や振動計測法の相談を受けていたので機械力学には大いに興味をもっていた。この時、山本先生から助手の話があり、翌朝OKと返事をした。山本先生は返事が早いのに驚いておられた。
昭和34年4月から、山本先生の御指導で「非対称回転体をもつ軸系の振動問題」を研究することになり、機械力学をイロハから勉強し直した。山本先生から「放射性同位元素によるプラグの点火性能向上とか回転軸の危険速度とか、太田君はどちらも危険な実験ばかりと縁があるんだなあ」と冷かしながら、回転軸のふれまわり振動のレンズを使った光学的計測法や振動記録用オシログラフ印画紙の現像・定着・水洗・乾燥の仕方などを手をとるように教えて下さったことを昨日の出来事のように思い出します。
先生のほとばしるような才能は、学術上では回転軸に発生する各種の振動や多自由度非線形系の強制振動に関する先見性に富み今後の発展を示唆する業績を数多く発表されました。芸術的方面では絵画の観賞やピアノ演奏にその才能を発揮され、植物や昆虫の博物学的知識は正確でよく整理されて記憶しておられました。スポーツでは八高時代の水泳や30歳代まで軟式野球の捕手として二宮・村上(光)先生らと活躍され、50歳代後半からは渓流つりと鮎の友づりに熱中され、何回もお伴しましたことがなつかしく思い出されます。
最後に先生のご略歴を添えました。 (平成19年10月4日)
1921(大正10)年7月10日 | |
滋賀県大津市にて出生 | |
1945(昭和20)年9月20日 | |
名古屋帝国大学工学部機械学科卒業 | |
1945(昭和20)年10月30日 | |
名古屋大学工学部機械学科助手 | |
1948(昭和23)年4月24日 | |
名古屋大学工学部機械学科助教授 | |
1956(昭和31)年9月15日 | |
工学博士(京都大学)「軸受条件に基づく回転軸の振動」 | |
1958(昭和33)年2月1日 | |
名古屋大学工学部機械学科第4講座(機械力学)教授(36歳) | |
1967(昭和42)年4月1日 | |
日本機械学会理事(1年間) | |
1970(昭和45)年5月 | |
山路ふみ子自然科学奨学賞 「高速回転軸に発生する振動に関する研究」 | |
1977(昭和52)年4月1日 | |
日本機械学会東海支部長(1年間) | |
1979(昭和54)年4月1日 | |
名古屋大学評議員(2年間) | |
1985(昭和60)年3月31日 | |
名古屋大学停年退職(63歳) | |
1985(昭和60)年4月1日 | |
名城大学理工学部交通機械学科教授 名古屋大学名誉教授 | |
1988(昭和63)年4月6日 | |
日本機械学会名誉員 | |
1994(平成6)年3月31日 | |
名城大学退職(72歳) | |
1994(平成6)年7月13日 | |
日本機械学会機械力学・計測制御部門学術業績賞受賞 | |
1996(平成8)年11月3日 | |
勲三等旭日中緩章受賞 | |
2007(平成19)年8月23日 | |
死去(86歳) |