平成20年度 東山会会報

停年・退職の先生のお言葉


朝倉 榮次

退職の挨拶

 平成20年3月末日をもって名古屋大学を退職しました。


 振り返れば、昭和39年4月以来44年の永きにわたって名古屋大学にお世話になったことになります。昭和39年と言えば東京オリンピックが開催された年で、日本の高度成長がまさに始まろうとしていた頃です。

 公務員試験合格後、文部技官として水力実験室に勤務しました。当時の実験室は木造の老朽化した建物で、最初に案内された時、あまりの古さに少し驚いたことを今も憶えています。

 当時、実験室で盛んに行われていたスポーツはバトミントンでした。昼休みになると、水力実験室と熱機関実験室との間の空き地にネットを張り、結構真剣にゲームをしていたことを懐かしく思い出します。また、スポーツと言えば、やはり野球です。機械科野球大会、工学部リーグ等で頑張っていました。豊田市の矢作川の河川敷まで遠征したこともあります。

 昭和48年3月に夜間大学を卒業しました。卒論テーマは「フランシス水車の性能に関する研究」でした。故村上光清先生にお願いして、現在も存在している機械学科実験棟内に設置されていた装置を使用させていただきました。

 昭和55年4月に教務員に配置換えとなりました。当時、主に行っていた研究のテーマは「遠心ポンプ羽根車内の流れに関する研究」でした。回転しているポンプ羽根車内の流路の流れを実測しました。供試ポンプは菊山先生の科研費の予算を使わせていただき、設計はこちらで行い、大阪府の八尾市のポンプメーカーに特注しました。最終的には、この研究のまとめが平成17年3月25日の博士(工学)の学位授与につながりました。

 平成5年7月に助手に昇任しました。つまり在職中3つの職種をほぼ同期間勤めさせていただいたことになります。この経験は、私にとっては様々な視点から大学を視る機会となり、貴重な体験をさせて頂いたものと思っております。

 つらつら思えば、生涯一書生のような名大生活を送らせていただいた訳ですが、これもひとえに暖かく見守っていただいた先生方、他のスタッフの皆様、多くの卒業生のお陰だと思っております。

 現在、まだ週3日実験室に顔を出させていただいており、微力ながら「ご恩返し」ならぬ、「ご恩送り」が出来れば良いものと思っております。感謝。

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