平成23年度 東山会会報

東山へ帰る日 参加報告


名古屋大学
名誉教授

山口 勝美

昭和 35 年卒業(第 19 回)

「東山へ帰る日」に想う
  

平成2363日名大祭の日に,「東山へ帰る日」と題し,昭和35年,36年卒業生が母校に招かれ,卒業50年後の機械系学科の現状を説明いただき,昔学んだ研究室の見学の機会を得ました.参加者は,それぞれ19名,10名でした.35年卒業で見ると,全卒業生53名の中で,逝去7名,連絡先不明4名,確認できた海外滞在,体調不良などで参加したくても参加いただけなかった方6名で,これを除くと,東日本大震災の覚めやらぬ中,参加率53%でありました.参加者は全員このような企画に対し大変よろこんでいました.貴重な時間を割いて説明・案内いただいた東山会の関係者に深く御礼を申し上げる次第であります.

 私はほんの10年前に本学を停年になり大学を離れましたが,参加者中機械系学科の近況を最も熟知していたはずであります.しかし,学科の変貌は著しく,当時椅子を並べた教官は疎らとなり,かなりの研究室が移転し,10年間の変貌ぶりに昔日の感を深めた次第です.何十年ぶりに訪れた参加者の昔懐かしい母校に対し,その思いは如何ばかりかと想い察しています.瞼に残る研究室と重ね合わせた参加者は,遥かなる50年の星霜を感じ取られたのではないかと思います.

 このような感慨とは別に,参加者の大半はかくしゃくとしてこの事業に参加し,まだまだ研究室の最先端の研究にも強い興味を寄せていました.休憩時間には東電の福島原発の対応など機械エンジニアとして心がうずく話も噴出し,また熱心な見学ぶりからしても心の奥に隠されたエンジニアの情熱を感じとることができました.同僚の中には未だ海外に出かけ技術指導で活躍している者もいることを知り,大きな活力を得られた方もおられたのではないでしょうか.思い起こせば今は昔,私が院生の頃,停年後の余生を母校の研究に協力したいと,院生に混じって2号館の研究室に机を並べた先輩がおられましたが,その先輩の心が少し分かったような気がします.そういえば大学は違いますが,テニスメイトの医学部某教授が停年後,大学院の試験を受けて自分が担当していた診療科の院生になられ,大変な話題になりましたが,停年後の人生の送り方も教えられるところが多いことを思い起こした次第です.

 たまたま,私は大学在職中に自ら創案・確立したメタルジェット技術の研究を基にベンチャーを起し,今現在それをビジネス展開するという新しい世界に挑戦しています.在職中は,やっていた研究が後にベンチャーに繋がることなどさらさら考えたこともなかったのですが,このような事態になっていまさら驚いています.また一方では,古い専門の講義は停年を限り金輪際やりたくないと思っていましたが,母校から「ベンチャー特論」の非常勤講師の依頼を受け,これは新鮮と即座に引き受ける羽目になってしまいました.以来8年,若者にあやかって夢を抱き,研究・教育・ビジネスと歳もわきまえず“無謀な仕事”をわくわくしながらやっています.この仕事を発展させんが故に,知人には助力を仰ぎ,先生方には教えを請い,過去に培った人脈を頼りに,多くの皆さんにお世話になっています.こうして新しいことに挑戦してみると,頼る人の中に先輩・後輩を始め如何に東山会の人達の比重が大きいかを思い知らされています.

 三浦雄一郎は60歳を過ぎてから一念発起,70歳でエベレストの登頂に成功,75歳でまたもや再登頂されましたが,これを知れば卒50年は決して限界の歳ではないはずです.まだまだやれるのではないでしょうか.この拙文を読んでいただける後輩の皆さん,60歳停年で人生を燃え尽きるのではなく,下請けの第二の職場に就けて安堵するのでもなく,停年を期に新しい人生に挑戦されては如何でしょうか.全く新鮮な人生が開けると思います.何といっても駄目で元々ですから思い切ったことができる強みがあります.何年も前から心の準備しておいても遅くはないのではないでしょうか.

 知人の一人から,停年後相談に行った職安は役立たないと,顕微鏡を取り揃え動植物を集めて理科教室を開設したいので推薦状を書いて欲しいと言われました.得意の渓流で山椒魚を捕まえて提供しましょうか−とばかりこれに賛意を表しましたが,その後この理科教室は地域で好評を得ていると聞いています.最近我が社でロボット製作に経験のある人材を学会のシニア会を通じて求めていたところ,ハイエイジャーと名乗る高齢技術者紹介会社を起こした高齢経営者を紹介され,そこに所属する停年になった有能な人材を得ました.今この人材に会社の命運を賭けるほどに大変重宝しています.高齢者は各所で活躍していることを知りました.

 日本はこれからどんどん高齢化社会になっていきますが,単なる一律停年延長は,滓が溜まり,老害をもたらしかねません.停年を好機と捉え,惰性の人生ではなく生まれ変わりの人生に挑んでいただきたいと思います.三浦雄一郎は75歳でエベレストに登頂できたのですから.

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