平成26年度 東山会会報

特別寄稿


名古屋大学 名誉教授
愛知工業大学 客員教授

末松 良一

昭和 41 年卒業(第 25 回)

山車からくり祭とものづくり
  

1.はじめに:「からくり」という言葉
 「からくり」という語は、外国語にはない日本特有の言葉である。下図に、江戸時代に使われた「からくり」「からくる」と読む漢字の例を示した。これらの漢字からも分かるように、「からくり」は、時計、織機など機械装置全般から、糸や差し金を操って動かこと、工夫を凝らして物事を仕組むことなど、仕掛け、仕組み、トリックまで広い意味で使用される。狭義には、からくり人形の略として、糸やゼンマイなどで動くように作ってある人形を意味する言葉として用いられる。
 「からくり」という言葉がいつ頃から用いられたのかは定かではない。からくりの始まりといわれる機械仕掛けの指南車(学僧智由が9年がかりで製造し、天智天皇に献上した:日本書紀)や高陽親王が干ばつの京都で製作した水かぶり人形(今昔物語)、また、平安末期から室町時代に人形箱を抱えて放浪した傀儡師(えびす舞、くぐつ師ともいう)などの文献にも「からくり」という言葉は使用されていないようである。日本特有の「からくり」という言葉が広く用いられるようになったのは、江戸時代に入ってからであるといって間違いなかろう。
 からくり人形は、演じられる場所によって、「座敷からくり」「舞台からくり」「山車からくり」に分類される。本稿では、まず、「座敷からくり」と「舞台からくり」について、その特長などを紹介した後、からくり人形の宝庫といわれる愛知県で行われている「山車からくり祭」が果たして来た役割と意義について述べてみたい。




2.座敷からくり
2-1 「茶運び人形」
 座敷からくりの代表格である「茶運び人形」についての最古の記録は、井原西鶴の次の句である。【茶を運ぶ人形の車はたらきて】
 17世紀後半に出現した「茶運び人形」は、次のような素晴らしい特長を持っている。
@ 複数の人間(主人と客)が存在する中で稼働する。
A 人間の自然な動作が、作動開始・停止を行う。
B その存在が人間同士の会話を促進し、座を興ずる。
これらは、現在のホームロボットの手本といえるものであり、西欧の自動人形(オートマタ)には見られない優れた機能である。
 江戸時代に製作された座敷からくりは数々あるが、人形内を流れる水銀による重心移動でバックテンしながら段を降りる「段返り人形」、人形が持ち上げる箱の中身が次々と変わる「品玉人形」は、18世紀に日本からヨーロッパへ伝えられたと言われている。
座敷からくりをもう1つ紹介しよう。




2-2 「弓曵き童子」
「弓曵き童子」は、東芝の創始者といわれる江戸末期のからくり師、田中久重の1850年頃の作品である。「弓曳き童子」が座敷からくりの最高峰といわれる由縁は、その見事なメカと装飾のみでなく、人形の感情表現の素晴らしさにある。
@ 矢が的に当たれば、喜んで次の矢を取りに行く。的から外れれば、次はがんばるぞという表情で矢を取りに行く。(観客の心理を巧みに利用した頭の動き)
A 11本の糸を6組のカムとレバーで操る。そのうち6本が頭の動きに使用されている。
B 小さな唐子がハンドルを回し、歯車列(実際の役割は速度調節機)を通じて、弓曳き童子を動かしているように見せる仕掛け。
 矢台に載った4本の矢を次々と掴み、2メートル程離れた6cm径の的を狙い、弓を張り、矢を放つ。4本の矢のうち1本は的を外すように矢を細工する。観客は矢が的に当たった時は、「ワーすごい」と感動して人形を見る。矢が的から外れると「アレッどうしたのだろう」という思いで人形を見る。この感情の違いによって、同じ人形の動きでも異なる表情を読み取るのである。




3.舞台からくり
 1662年に大坂道頓堀で旗揚げ公演された「竹田からくり芝居」は、4代約100年に亘って全国各地を巡り一世を風靡し、からくり人形の庶民への浸透に大いに貢献した。1日、朝から夕方まで、15種のからくり演目を演じた。
 下図は、「乗初拝領の駒」という出し物で、からくり人形が馬に乗り、次に籠脱けの曲芸をみせ、両手で撞木を掴んでスイングし、犬の背中に飛び乗って楽屋へ走り去るというものである。
 竹田からくりの演目には、人形の早変わり、文字書き、自転車の原型ともいわれる陸船車、吹矢からくり、水からくりなど多彩で、庶民の人気を呼んだ。
 隆盛をみた舞台からくりも、やがて、生き人形、籠細工、奇獣変人などの見世物へと大衆の興味は移って行ったのである。
 からくりの技芸は、大坂では文楽へ、江戸では歌舞伎へ、そして愛知県では「山車からくり祭」へと引き継がれていったのである。




4.山車からくり
 徳川家康を祀った名古屋東照宮祭の山車からくりは、参加する七軒町が2台の大八車に西行法師と桜を模ったことから始まった(1619年)。これが山車からくり祭の始まりである。東照宮祭は、天保年間に最盛期を迎え、華麗なからくり人形を載せた9両の山車、幡•警固、神輿など7000人の祭り行列になったといわれている。残念ながら東照宮祭は、戦災で消失し途絶えてしまったが、その栄華は、旧尾張藩各地に伝播し、今なお盛大に継続されている。犬山祭は、今年380回を迎え、岩倉祭り、半田亀崎の潮干祭、津島の秋祭り、名古屋の戸田祭など200年以上続けられている祭りが多い。現在、全国では約80の地区で山車からくり祭が行われているが、その大半が旧尾張藩の地域に集中している。山車からくりの演目は、おとぎ話、神話、能・歌舞伎などから題材を選び、製作されたものも多いが、竹田からくり芝居などの舞台からくりをそのままの形で山車からくりとして受け継がれているものもある。







4-1 愛知県内山車からくりの華麗な演技
 愛知県内の山車からくり祭の人形演技には、観客をあっと驚かせ、不思議を喚起する大技を演じるものが多い。その演技のいくつかを紹介する。
(1) 片手で倒立し、鉦を打つからくり人形
 下図は、名古屋若宮祭福録寿車のからくり人形である。2本の差し金(人形に挿入して操作する棒)を用いて、踊りながら蓮台に近づき、左手を蓮台の上に載せた後、片手で逆立ちし、首を振りながら右手で前の鉦を鳴らす。この片手倒立からくりは、見る者に仕掛けへの興味を喚起させるこの地方特有の離れからくりである。梅の木や人形の肩で逆立ちを見せるものもある。




(2) 枝から枝へ空中を飛び移る綾渡り
 木の枝から吊るされた波状に配置された綾棒をからくり人形が空中で回転し、手と足で前方の綾棒を捉えて渡っていく。10数本の糸を使い巧みに操る。人形が反り返って手を伸ばし、前の綾棒に掴まろうとするが、最初はとても届きそうにない動きをする。観客をハラハラさせ、最後に喝采を浴びる演出も素晴らしい。この綾渡りからくりも、犬山、半田、名古屋など県下各地の山車からくり祭で見られる。




(3) 人形が神社に早変わりする変身からくり
 白楽天が住吉神社に変身するからくりは、竹田からくり芝居の演目にあるが、犬山の熊野町の車山(やま)に引継がれている。白楽天の人形が10秒ほどでお社に変身する。折り紙とともに、日本の折畳み技術の基本を数百年間多くの観客に見せて来たのである。日本が得意とする人工衛星などの折畳み技術につながっているのではないだろうか。




(4) 二足歩行の乱杭渡り
 下駄を履いたからくり人形が、階段状に配置された木杭の上を、二足歩行で一歩一歩登っていく。ぐらぐら揺れる木杭の上を、足を左右交互に登る様は、見る者を魅了する。二人の操り手が、杭の中に仕込まれた差し金で操作する。この「乱杭渡り」からくりは、碧南、犬山、半田などの祭で見られる。
200年以上前から日本人は、木製の二足歩行ロボットを見て来た訳で、現在の二足歩行ロボット技術が世界に先んじているのも頷けるというものである。




(5) 細長いものを自由に操るからくり  下の図は、名古屋東照宮祭の伝馬町林和靖車の鶴からくりである。鶴からくりの名人であった初代玉屋庄兵衛が、京都から名古屋へ移り住むきっかけとなったからくりである。
 細長い鶴の首を自由に操り、籠の中から芹をつまみだす仕草や、羽虫を啄む仕草が絶妙と称されたものである。鯨のひげ(バネ)に丸い駒をそろばん状に連ねて4本の糸で操る。この仕掛けは、大四日市まつりの大入道ろくろ首、半田西成岩の鵺からくりにも用いられている。
 現代の内視鏡、腹腔手術器具に繋がる機構といえるかもしれない。




5.「からくり」と「ものづくり」
 豊田佐吉が木製織機(からくり)の改良に取り組んだことが、今のトヨタ自動車をはじめとする自動車産業の発展につながったことは有名であるが、前章で述べたように、愛知県下で毎年数多くの地域で行われている山車からくり祭が、県下の産業技術の源流になっていることを多くの人々に知っていただきたい。
 2000年代に入って、「からくり」をキーワードとした改善?工夫が日本全国の製造業の現場で活発になってきた。@メカの楽しさ・面白さ、シンプルな機構ゆえのA低価格B高信頼を掲げる「からくり改善」(日本プラントメインテナンス協会登録商標)活動である。近年になってアジア諸国にも浸透しつつある。下図は、「からくり改善」の代表的事例である、無動力搬送車「ドリームキャリー」の模型である。幼少時に見た茶運び人形からヒントを得て、製品の重力を巧みに利用したアイシンAW(当時)池田重晴氏の発明である。(2003年第1回日本ものづくり大賞受賞)工場内で1つの製造ラインの終点から、次の製造ラインへ製品を搬送する車の駆動力と空の台車を元の位置へ戻すバネエネルギーを始点から終点までの製品の位置エネルギー(重力)から得ている。この無動力搬送車は、さまざまな形態に進化し、現在では30カ所以上で稼働している。




6.あとがき:愛知県に国立博物館を!
 国立を冠する博物館は、東京、京都、奈良、九州にあり、さらに東京には国立科学博物館、国立劇場、国立近代美術館、大阪には国立民俗学博物館、国立文楽劇場、京都には国立近代美術館、千葉には国立歴史民族博物館などがある。お気付きのように、東海地方には、国立の博物館あるいは美術館がない。なぜだろう?
 能楽(2002年)につづいて、人浄瑠璃文楽(2004年)、そして歌舞伎(2006年)が、世界無形文化遺産に登録された。和食がユネスコ世界無形遺産に登録され、続いて和紙が登録準備に入り、その後に全国の山車祭群が予定されていると聞く。
 愛知県を中核としたこの地域は、数十年に亘り世界的産業技術中枢圏を形成して来た。その産業技術の源流は、伝統的な江戸からくりの技芸を今に伝える山車からくり祭にあると主張する。
 そこで私は、愛知県に「山車からくり祭とものづくり」をテーマとした国立博物館の設置を提案したい。誰でもいつでも、観客をハラハラどきどきさせるからくり人形の演技を楽しむことができ、からくり文化と産業技術との関連を学術的に追求し、工場現場でのからくり改善事例等も本物で紹介する施設を夢見る。
 夢のリニア新幹線が名古屋まで完成する頃までにと祈りつつ・・・
 【からくりフロンティアhttp//:www.karafro.com ご覧いただければ幸いです】

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